Tamako.R Episode-3

多摩湖線・駅ものがたり

何かと移転したり廃止されたりといった波乱な人生(?)をたどった多摩湖線各駅の
歴史を簡単にまとめました。一部、廃止された駅跡の写真も交えてお送りします。

国分寺駅

S3(1928)年4月 6日国分寺駅開業
S41(1966)年7月 1日17m車両3両編成化
H2(1990)年6月24日ホームを100m北西に移転、20m車両4両編成化

国分寺駅は路線開通と同時に開業した多摩湖線の始発駅です。中央線や国分寺線とは今より近いですが、一段 高い場所にホームがありました。発車するとすぐ、右へ急カーブをきって現ホームのあたりで直線に入るコースでした。
もともとホームのスペースが狭く、多摩湖線の輸送力増強の障害となってしまっていたので、平成2年6月に 国分寺駅ビルが完成したのをきっかけに改良工事が行われ、現在のように市道をまたいだ位置に新しいホームを新設しました。
これにより、長いこと活躍してきた旧型車両は引退、多摩湖線の近代化はひとまず一段落しました。
なお、国分寺駅は6番ホームが欠けていますが、旧ホームは6番と7番ホームの2線あって、 移転直前に6番ホームを閉鎖していたことから、そのまま7番ホームを引き継いだものです。


国分寺駅の旧多摩湖線ホーム跡。再開発の予定ですがまだ残っています。


東国分寺(ひがしこくぶんじ)駅

S3(1928)年4月 6日東国分寺駅開業
S20(1945)年2月 3日営業休止
S29(1954)年10月10日駅を正式に廃止。

国分寺からひとつめの駅で、やはり開通と同時にできました。ただ、やはり始発駅から近すぎたせいか 利用者がふるわず、戦時中の昭和20年に営業が休止され、通過扱いとなってしまいます。
その後も復活することはなく、昭和29年にそのまま廃止となり、姿を消しました。


東国分寺駅があったらしき場所。萩山方面を見た図です。


桜堤(さくらづつみ)駅

S3(1928)年4月 6日桜堤駅開業
S20(1945)年2月 3日営業休止
S28(1953)年1月15日駅を正式に廃止。

こちらも上の東国分寺駅と同じような運命をたどったのですが、こちらは戦前、多摩湖鉄道の名物駅でした。
小金井桜(玉川上水の堤の桜)が線路と交差していたので、そのあたりに駅を設置し、 春のお花見シーズンには「電車を降りずに花見ができます」と宣伝するほどの場所でした。
当時は賑わっていた駅周辺も、時代の流れやレジャーの多様化によって今は大きな賑わいもありません。
何ごともなく走り去る電車の横、今でも毎年咲きつづける桜が思い出させてくれます。


桜堤駅があったらしき場所。奥が国分寺方面になります。


(商大予科前→一橋大学→) 一橋学園駅

S8(1933)年9月11日「商大予科前(しょうだいよかまえ)駅」開業
S24(1949)年5月??日「一橋大学」駅に改名
S41(1966)年7月 1日「小平学園」駅と合併し、新駅「一橋学園」として開業

開通時にはまだなく、昭和8年に新たに開業した駅です。この駅は現在の一橋学園駅と同じく、 電車の交換が可能な駅となっていました。今でもその時の線路が残っています。 昭和24年に「一橋大学」駅に改名されています。 昭和39年ごろに多摩湖線の混雑が問題となりましたが、その一つの原因がホームの長さが足りないことに あり、特にこの駅の場合線路の付け替え(長さが不足する)などの手間の問題から、 統合のうえ新駅の設置に踏み切ったのでしょうか。
一橋学園駅はこの駅を移転するという名義で設置されたので、書類上はこの駅は廃止になっていません。


商大予科前駅跡地。奥が一橋学園駅です。右に古い線路が残っていますね。


小平学園(こだいらがくえん)駅

S14(1939)年1月 1日小平学園駅開業
S41(1966)年7月 1日「一橋大学」駅と合併し、従来の駅を廃止。

この駅も開業以来ですが、特に歴史上のできごとは少なめです(^^; 小平学園都市の中心駅として 開発の予定だったと思いますが、思うように人口は増えず、開業当時は駅前商店も1〜2件程度だったとか。
のちに、一橋大学駅との合併話が持ち上がるほど乗客は増えることになります。


小平学園駅があった場所。写真は国分寺方面。ホームは左側だったようです。

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