Tamako.R Episode-1

多摩湖鉄道、路線開通のあゆみ

西暦1928年:昭和3年4月6日、多摩湖線の前身、多摩湖鉄道という私鉄が運転を開始しました。設立したのは、堤康次郎率いる土地開発会社「箱根土地」。 …そう、これは後の西武グループ基幹企業「コクド」ですね。小平の学園都市開発の一環と、多摩湖(正式名:村山貯水池)への観光客輸送の一石二鳥をねらって、堤康次郎が自らの手で設立・開業させた鉄道会社なのです。
まず最初に開通したのは国分寺〜萩山間、その後順次本小平(今の小平)、村山貯水池へと線路が延びていきます。 このページでは多摩湖鉄道〜多摩湖線の開通史などをくわしく紹介していきます。

昭和3年4月6日〜
昭和3年4月6日 まず最初に萩山駅までが開通。
この日が多摩湖線のはじまりの日だったのです。途中に設けられた駅はご覧のとおり。東国分寺(ひがしこくぶんじ)、桜堤(さくらづつみ)など、見慣れない名前の駅が並んでいますね。
これからの歴史の中で、駅の整理や改良が進められていきます。小平学園(こだいらがくえん)は、現在の一橋学園駅の元となった駅のひとつです(こちらは別ページにて)。
そして、萩山駅から先は延伸工事が続きます。


昭和3年11月2日〜
昭和3年11月2日 続いて、萩山駅から本小平駅へ延伸。
おやおや?村山貯水池かと思いきや意外な方向へ延伸しました。本小平(もとこだいら)は、西武新宿線(当時は「西武村山線」)の小平駅に隣接してありました。現在この区間は西武拝島線となり、駅も小平駅に統合されてなくなっています。
こちらへ延伸したのは当時運輸省から、既存の路線には接続せよ、と言う指示が出たからという説も...。ともかく小平学園都市への利便性は上がりました。
引き続き、村山貯水池駅への工事進行中。なお、村山貯水池までは多摩湖鉄道バスで連絡していました。


昭和5年1月23日〜
昭和5年1月23日 いよいよ村山貯水池へ。
待望の開通です。小平学園都市に続き、村山貯水池への観光輸送という目的も達成...されようとしています。この時点ではまだ現在の西武遊園地駅あたりまで線路は伸びておらず、現在の武蔵大和駅の少し手前あたりに仮の駅を造りました。
最後のほうは軽く山越え区間なので、工事に手間取ったのでしょうか?...知りませんけど(^^; この時点では八坂駅はまだできていませんでした。武蔵大和駅も現在の形での開業はもう少し先です。 ところで、当時はまだ狭山公園が開設されていなかったと聞きます。それじゃあ貯水池まで遠いかなと私は思いましたが、またもやバス連絡だったようです(^^;
路線に枝分かれができましたが、運行形態は国分寺〜村山貯水池(仮)駅間と萩山〜本小平の2系統に分かれていました。車庫は萩山駅にあったようです。


開業当時は、電車ではなくガソリンで動く気動車によって運転されていました。しかし故障が多くて振動も激しかったため、電化をすることになりました。
昭和5年から7年にかけて全線電化され、ガソリンカーに代わってようやく電車が走ることになりました。 46人乗りの電車を4両導入しましたが、沿線の開発が遅れたこともあって特に平日の昼間などは乗客が少なく、「四十二人乗り(しじゅうににんのり)」などというあだ名をいただいてしまいました。
四十(いつも)二人乗り(運転士さんと車掌さんしか乗ってない)というイミ(;^_^A しかしこれも東京商科大学(現:一橋大学)予科が沿線に移転してくれば昔話となります。

昭和11年12月30日〜
昭和11年12月30日 村山貯水池の本設駅開業・延伸。
ついに山越え線路(?)の工事が完成に至り、村山貯水池駅は本開業することになりました。これでほぼ全線開通としてもいいでしょう(本当はまだ先がありますが...)。現在の終点からは数百m手前ですが、 この頃、貯水池の観光を当て込んでライバル路線が2本乗り入れてきたことも関係しているようです。それは武蔵野鉄道山口線(現:西武狭山線)と西武鉄道村山線(現:西武園線)です。今はみんな同一会社ですが(^^;。
ちなみに駅のすぐ先の鉄橋で、現西武園線と交差する予定だったとか。現在の位置には武蔵大和駅が開業しました。
なお、この頃すでに新駅「商大予科前」が開業しています。村山貯水池駅は昭和16年、東京府立狭山公園の開園に伴って「狭山公園前」駅に変わりますが、その1年前、多摩湖鉄道は武蔵野鉄道に吸収合併されています。


昭和26年9月1日〜
昭和26年9月1日 多摩湖駅完成。ほんとうの全線開通
昭和26年、武蔵野鉄道を経て西武鉄道になった「多摩湖線」はついに、ついに(^^;現在の西武遊園地駅と同じ位置にある新しい終点「多摩湖」駅を開業させます。短い距離の割に意外と時間を要しましたが、これで本当の「全線開業」ですね(^^) 
西武遊園地駅の南口に建っている木造駅舎は、おそらくこの当時に建てられたのではと思います。だとしたら50年近く前からあることになりますね...。
一方でほかの駅に目を向けると大きく変化が起こっています。まず新駅が二つ(「厚生村」と「八坂」の両駅)。商大予科前は「一橋大学」駅に改名。 東国分寺と桜堤の両駅は昭和20年に休止され、28年にそのまま正式に廃止されてしまいます。同時に、厚生村駅まで早くも廃止されることになります。
本小平は、晴れて西武新宿線の小平と統合されますが、架線電圧が違うため(新宿線1500V、多摩湖線600V)まだ直通はしません。


以上、簡単な(そうでもない?)多摩湖線の路線開通のあゆみ、でした☆
「桜堤」とか、なかなかろまんちっくな駅名だと思ったりしますが...。
現在の路線図
現在の路線図。

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